存在論日記2006年/ 8月

存在論日記:2006年8月

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祐徳稲荷神社

佐賀県鹿島市古枝に鎮座する祐徳稲荷神社を訪問した。

この神社は、 鹿島藩主鍋島直朝の正室であった祐徳院が 貞享四年(1687)に創建したもので、 祭神は、 祐徳院が鍋島家に輿入れするに際して 京都御所内の稲荷社から勧請した 倉稲魂神(うかのみたまのかみ[1])である。

祭神の名前は伏見稲荷大社と同一であるが、 祐徳稲荷神社の祭神の特質は、 創建者である祐徳院との習合が感じられるという点にある。 祐徳院は、摂社のひとつである石壁神社に祀られているが、 それにとどまらず、 そのイメージは 倉稲魂神の上にまで投影されているように思われる。

祐徳稲荷神社に併設されている祐徳博物館[2]には、 祐徳院の肖像画も何点か展示されている。 そのうちのひとつには、 鍵をくわえた白狐の背中に座している祐徳院の姿が描かれており、 祐徳院の稲荷化という興味深い現象を形象化したものと言える。

[1] 由緒書では、 「倉稲魂」に対して 「ウガノミタマノ」というルビが振られている。
[2] 祐徳博物館には興味深い文物が数多く展示されている。 私は吉田初三郎のファンなので、 彼によって描かれた祐徳稲荷神社鳥瞰図の原画に出会えたことは、 何にもまさる眼福と言えるだろう。

芸術の評価軸

分裂病患者がおずおずとして描く一本の線と、 天才と言われる芸術家が描く一枚のタブローとは、 哲学的には等価である。[1]
――中井久生

第七藝術劇場で、 「夏音―Caonne」(監督:IZAM)という映画を観た。

8月18日(金)午後7時5分からの上映は、 満員御礼とは言い難い状況で、 映画館は完全に私専用と化していた[2]。 そんなわけで、もしかするとすごくつまらない映画なのかも、 という不安を抱きながら観始めたわけであるが、 その不安は杞憂だった。

少なくとも私にとっては、 この映画のテーマは「芸術とは何か」である。 もう少し限定して、 「芸術家に必要なものは何か」ということだと考えてもよい。

そのようなテーマについて、 この映画が明確に何かを主張しているとまでは言えないが、 「芸術家にとって才能というのはなくてもかまわないのではないか」 という方向を指し示しているということは指摘できるだろう。

人間の能力を評価するための軸が無数にあるのと同じように、 芸術作品を評価するための軸も一本だけではないと私は思う。

豊かな才能や熟練した技術が関与しなければ 到達し得ない境地というものが芸術には存在する。 しかし、そのような観点による芸術作品の評価軸は、 あくまで無数に存在する評価軸のひとつに過ぎない。 たとえば、 「何かを表現したい」という強い思いが込められた作品は、 たとえそこに才能や技術の反映が認められなかったとしても、 人間を感動させる力を持つ。 そのような力の存在は、 我々が「アウトサイダー・アート」[3]と呼ばれる作品に 魅力を感じる理由のひとつである。

[1] 山中康裕さんが 『臨床ユング心理学入門』(PHP新書、PHP研究所、1996)の p. 135で紹介している中井久生さんの言葉。
[2] 「1」という番号が書かれた整理券をもらったけど、 これって意味ないじゃん!
[3] アウトサイダー・アートについては、 服部正 『アウトサイダー・アート――現代美術が忘れた「芸術」――』 (光文社新書、光文社、2003)を参照されたい。

太陽系天体

太陽系の天体に関する概念体系についての私案。

定義1:太陽系を構成する個々の天体を 「太陽系天体」(solar system object)と呼ぶ。
定義2:太陽系天体のうちで恒星ではないものを 「惑星」(planet)と呼ぶ。
定義2の注釈:大胆ではあるがすっきりした定義であると思う。 「惑星」のこの定義においては、 惑星の周囲を公転する天体もまた惑星である(惑星の周囲を 恒星(人工太陽など)が公転している場合は例外)。 惑星とは別に、 それとは排他的な概念として 衛星という概念を設けなかった理由は、 衛星という概念は天体の属性ではなく 天体間の関係であると考えたからである(定義7参照)。
定義2の補則:すべての惑星は、彗星、宇宙塵、古典的惑星、 小惑星のいずれか一つに分類される。
定義3:惑星のうちで、 太陽に接近したときに尾を発生させるものを 「彗星」(comet)と呼ぶ。
定義3の注釈:楕円軌道を持つ彗星は、 太陽に接近するたびにその一部分を失っていく。 その結果として、 やがては太陽に接近しても尾を発生させなくなる。 そのとき、その天体の分類は彗星から小惑星に変更される。
定義4:惑星のうちで、 直径が10μm未満のものを「宇宙塵」(cosmic dust)と呼ぶ。
定義5:水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星、 冥王星を総称して「古典的惑星」(classical planet)と呼ぶ。
定義6:惑星のうちで、彗星、宇宙塵、 古典的惑星のいずれでもないものを「小惑星」(asteroid)と呼ぶ。
定義6の注釈:古典的惑星と小惑星との区別は、 大きさ(直径)によるものではなく、 主として歴史的理由によるものである。 したがって、 古典的惑星のうちで最小である冥王星よりも直径の大きな小惑星が 存在することは、 矛盾とは言えない。
定義7:惑星から構成される連星系において、 それらの惑星のうちで質量が最大のものを その連星系の「主星」(main star)と呼び、 それ以外の惑星のおのおのを主星の「衛星」(satellite)と呼ぶ。
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Last modified: Sunday, 27 May 2007
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