存在論日記2006年/ 12月

存在論日記:2006年12月

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多声物語論

私が今年観た映画のうちの二つを紹介したいと思う。

二つというのは「花よりもなほ」と「ルート225」である。 紹介したい理由は、 それらが多声的に面白いと思ったからである。

まず、物語の多声的な面白さとは何か、 ということについて述べておく。 私は、 物語の面白さには単声的なものと多声的なものの二種類がある と考えている。 物語の単声的な面白さというのは、 どのように展開していくかという時間的な変化の面白さであり、 それに対して、物語の多声的な面白さというのは、 複数の登場人物のそれぞれが進めていく物語が 重なり合うことによって生ずる対位法的な面白さである。

「花よりもなほ」(監督は是枝裕和さん)は、 父の仇を討つために江戸に出てきた青木宗左衛門という武士が、 仇を探したり、 おさえという未亡人に恋をしたりする話を 主旋律とする映画であるが、 その主旋律と、 さまざまな登場人物が奏でる対旋律との調和に神経が注がれている。 特に調和が美しいと私が感じたのは、 おのぶとそで吉の関係をめぐる対旋律である。 互いにほのかな恋愛感情を抱きつつ平行線をたどる彼らの物語は、 おさえと宗左衛門との関係をめぐる物語と呼応し合って、 美しい響きを作り出している。

「ルート225」(監督は中村義洋さん、原作は藤野千夜さん)は、 エリ子とダイゴという中学生の姉と弟が、 自分たちの両親がいないという点を除いては ほとんど元の世界とそっくりなパラレルワールドに迷い込み、 そこから元の世界へ戻ろうとして悪戦苦闘する話を 主旋律とする映画である。 対旋律となっているのは、元の世界にいる彼らの両親の物語である。 元の世界では、エリ子とダイゴは行方不明になっている。 したがって、そこでは、 自分の子供たちが神隠しに遭った母親と父親の物語が 展開しているのである。

ただし、両親の物語は、 映像として表現されているわけではない。 ダイゴが持っているテレホンカードを使うことによって 元の世界の自宅に電話をかけることができる という設定になっていて、 電話に出た母親の声だけが、 元の世界で進行している物語を想像するための手掛かりなのである。 この映画は、主旋律と対旋律がともに、 不本意な状況に陥った人間が その状況を精神的に受け入れようとする癒しの物語となっていて、 それらの調和が美しい。

サウジアラビア王国

「中東の平和と安定とサウジアラビア王国の役割」 という講演に関するメモ。

日時は2006年12月11日(月)15:00〜17:00、 場所は同志社大学今出川キャンパス神学館礼拝堂、 講師はファイサル・ハサン・トゥラード(Faisal Hassan Trad)さん、 司会は四戸潤弥さん、挨拶は森孝一さん。

トゥラードさんの講演の骨子は次のようなものである。 パレスチナとイスラエルとの紛争は、 テロリストたちが自分たちの主張を正当化するための 口実として使われることによって、 国際社会の平和と安定にとって障害となっている。 これまでに、 この紛争を解決するためのさまざまな提案が出されてきた。 サウジアラビア王国のアブドッラー国王による提案も そのひとつである。 しかし、この問題の解決は、提案によって得られるのではなく、 外交交渉というプロセスによってのみ得られるのである。

講演ののちの質疑応答では、 中東問題よりもむしろ 民主主義をめぐって交された質疑が面白かった。 日本人の質問者は、西欧的な民主主義という観点に立って、 イスラームにおける民主主義に対して 批判的な目を向けているように思われた。

民主主義に関する質問に対するトゥラードさんの回答は 明確だった。 それは、イスラームにはイスラームの伝統があって、 その伝統が求める民主主義は、 西欧や日本の民主主義とは異なるものなのだ、ということである。 彼によれば、日本の民主主義も同様に、 日本の伝統が求めているものである。 彼は言う。 「イスラームにおいては 女性は自分の名前を持ち続けることを許されているが、 日本においては 女性は婚姻に際して名前を変更することが要求される。 安倍首相が「美しい国」というスローガンを掲げているのも、 日本人が伝統的な価値観を失いつつあることに 危惧を感じているからであろう」

私は、 それぞれの民族が自分たちの伝統を守ろうとすることは 自然なことであり、 そのためにはいかなる圧力にも屈するべきではないと考えている。 しかし私は、 伝統の中に含まれている不当な価値観まで継承しなければならない と考えているわけではない。

たとえば、 「女性は穢れた存在である」とか 「結婚した女性は家の所有物である」というような価値観は 不当なものであり、 もしもそれが伝統の一部分だとするならば、 そのバグをフィックスし、 伝統をバージョンアップしなければならないと私は思う。 したがって、私は、 大相撲の表彰式でトロフィーや賞状を渡すのは 男性でなければならないと主張する人は頭が固すぎると思うし、 夫婦別姓の法制化に反対している人が その論拠として述べていることは きわめて奇妙なものであると思う。

同様に、 イスラームの伝統に含まれている不当な価値観についても、 再考が必要ではないかと私は考えている。

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Last modified: Sunday, 27 May 2007
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