存在論日記2007年/ 6月

存在論日記:2007年6月

目次

大学名称変更記念式典

聖トマス大学の大学名称変更記念式典に出席した。

日時は2007年5月27日(日)15:00〜16:00、 場所はNHK大阪ホール。

私は聖トマス大学とは縁もゆかりもない。 会場へ向かいながら、 「はたして入れてもらえるのか?」と不安が頭をよぎる。 案の定、 「招待状をお送りした方しかご入場いただけません」 と受付の人から冷たくあしらわれる私。 しかし、 「片隅の席でかまいませんから」などとしつこく粘ったところ、 根負けしたらしく、 チケットの入手に成功(のみならず引出物[1]までゲット)。

チケットには、かなり若い頃の聖トマスと思われる肖像画と、 座席の番号が印刷されていた。 会場のNHK大阪ホールは、ほぼ満席である。 式典の内容は、ハンドベルの演奏、 福音朗読(『ヨハネによる福音書』第20章第19節〜第23節)、 祈願、挨拶(池長潤さん、井戸敏三さん、 ヨゼフ・ピタウ(Josef Pitau)さん)、式辞(小田武彦さん)。

小田さんは式辞の中で、 「人間の徳は知性を何に使うかによって決定される」と述べていた。 私はその言葉を聞いて、 マタイス・アンセルモ(Anselmo Mataix)さんが 「カトリック大学の使命と若者の未来」 という講演の中で言及していた、 専門家が起こす不祥事の話を思い出した。 小田さんやマタイスさんが指摘しているとおり、 人間にとって知性を磨くことは、それ自体が目的なのではなく、 その知性を使って人類の福祉に貢献することが目的である[2]。 したがって、大学の究極的な目的は、 単に学生の知性を磨くことではなく、 人類の福祉に貢献する人間を育成することである。

21世紀を迎えた現在において、 人類にとっての大きな課題の一つは、 宗教上の対立を原因とする紛争を いかに解決するかということである。 私は、それらの紛争を解決するための最も有効な手段は、 「トマス的総合」なのではないかと考えている。 もしもそれが正しいとするならば、 人類の福祉に貢献する人間を育成するという 大学の目的を達成する上で、 聖トマスの理想を実現する教育は、 必要性のきわめて大きなものであると言わなければならない。

[1] 引出物が何だったかと言うと、 聖トマスの 『存在者と本質について』(De ente et essentia)である。 ソフトカバーではあるが、箱入りの上製本。 ラテン語と英語と日本語の対訳で、 英語版の翻訳者はRobert T. Millerさん、 日本語版の翻訳者は ボナツィ・アンドレア(Bonazzi Andrea)さん。
[2] ここで私が使っている「人類の福祉に貢献する」という言葉は、 あまりにも大袈裟すぎる。 もう少しマイルドに書き換えると、 「誰かを幸せにする」ということである。

歴史家の目で現在を見る

人間はしばしば、 後世の歴史家以外には正しい判断ができないことがらについて、 判断を迫られることがある。

先日、私の身近なところでも、 そのような判断をめぐる事件が発生した。 その事件というのは次のようなものである。

2007年度の大阪電子専門学校情報エンジニア科の時間割では、 金曜日の2時限目と3時限目に 「Flash実習」という科目が入っている。 そして、 同じ曜日の同じ時間帯に「SVG実習」という科目も入っている。 これらの科目は選択科目ではなく、それぞれの科目の受講者は、 カリキュラムの作成の段階で 所属コースごとに振り分けられた学生たちである。

そのとき、 カリキュラムの担当者がWebデザインコースを振り分けたのは、 「SVG実習」のほうだった。 すなわち、カリキュラムの担当者は、 Webデザインコースの学生たちにとっては FlashよりもSVGのほうが優先順位が高いと判断したわけである。

ところが、年度が始まって2ヶ月が経過した6月上旬、 Webデザインコースの学生たちが、 「Flash実習」を受講したいという希望を表明した。 すなわち、彼女たちは、FlashとSVGの優先順位について、 カリキュラムの担当者とは異なる判断を示したということになる。 彼女たちの希望はかなえられ、6月8日(金)より、 彼女たちは「Flash実習」を受講することとなった。

事件というのは以上である。 カリキュラムの担当者が判断を迫られた問題[1]は、 FlashとSVGの未来にかかわるものであり、 現在の人間がそれについて判断した結果が正しいかどうかを 評価することは、 現時点ではまだ不可能である。 はたして後世の歴史家は、 カリキュラムの担当者の判断をどのように評価するのだろうか。

[1] もしも、 「Flash実習」と「SVG実習」を 異なる曜日または時間帯に実施することが可能だったとするならば、 この問題そのものが存在しなかったはずである。 私は、カリキュラムの作成には関与していないので、 それらの科目を なぜ同じ曜日の同じ時間帯に実施しなければならなかったのか という理由については把握していない。

動動

「動動」と書いて「あよあよ」と読む。 恥ずかしながら、50年近く日本で暮らしているにもかかわらず、 私は、この日本語の単語を最近まで知らなかった。

私がこの言葉と出会ったのは、 2007年6月14日(木)のことである。 場所は桃谷駅のプラットホーム。 壁面に張られていた「木次線トロッコ列車・奥出雲おろち号」 というJR西日本のポスターの上に、 その単語は印刷されていた。

そのポスターは、 トロッコ列車が停車する木次線の十の駅のそれぞれに与えられた、 神話に関連する愛称を紹介していた。 たとえば木次駅には八岐大蛇(やまたのおろち)、 出雲横田駅には奇稲田姫(くしいなだひめ)という愛称が 与えられている。 十駅のうちの九駅までは 見覚えのある単語が愛称として選ばれているのであるが、 下久野駅に与えられた愛称だけは見たことのない単語だった[1]。 それが「動動」である。

調べてみたところ、出典は「出雲国風土記」だった。 その中に、 「阿欲」(あよ)という地名の由来に関する 次のような伝説が収録されている[2]。 昔、ある人がその地で農作を営んでいた。 あるとき、目が一つの鬼が来て、その人の男の子供を食べた。 そのとき、その子供の両親は竹薮の中に隠れていた。 男の子は、鬼に食われつつ、竹の葉がかすかに揺れ動くのを見て、 「動動」(あよあよ)と言った。 それで、 その地を「阿欲」(あよ)と呼ぶことになった(神亀三年に 文字を「阿用」に改めた)。

風土記の簡潔な記述は、 なぜ男の子は「動動」と言ったのかという理由については 何も説明していない。 この点について、 雲南市立阿用小学校のサイトにある 「阿用(あよう)という地名はこうしてできました」 というページ[3]は、 両親が隠れている場所が鬼に見つからないように、 竹の葉が揺れていることを両親に知らせようとした、 という解釈を紹介している。 しかし、その解釈には無理がある。 なぜなら、「動動」という発言は、 両親に対して警告を発する効果よりも、 両親が隠れている場所を鬼に教える効果のほうが大きい と思われるからである。

私は、鬼に食べられた男の子は、 ようやく言葉をしゃべることができるようになったばかりで、 死というものの意味が理解できる年齢には 達していなかったのではないかと思う。 彼は、自分が死に瀕していることなど気にも留めず、 自分の目に映った竹の葉の動きを面白いと感じて、 無邪気に「動動」と言ったのではないだろうか。 この解釈のほうが、 両親を助けようとした親思いの息子だという解釈よりも、 切ない余韻を物語に与えるように思われる。

[1] 木次線の駅に愛称を与えたJR西日本の関係者は、 十駅のうちの一駅のみに馴染の薄い単語を愛称として与えておけば、 興味を惹かれる人が多いであろう、と考えたに違いない。 そして、その作戦に引っ掛かった人間は私のみではあるまい。
[2] 「出雲国風土記」、吉野裕訳、『風土記』、 東洋文庫、145、平凡社、1969、p. 195。
[3] http://www.daito-town.jp/school/ayou/tiiki/ayoayo/ayoayo.htm

西原理恵子さんのおばあちゃん

共存型一神教は、多神教と一神教を折衷した宗教である。

多神教には一神教にはない美点があり、 一神教には多神教にはない美点がある。 共存型一神教は、両者の美点を兼ね備えた宗教である。 多神教の美点は、 人間は神々から幸福を授かることができるという信仰である。 それに対して、一神教の美点は、 人間は神から使命を与えられているという信仰である。

日本人は、多神教の文化の中にどっぷりと浸かっているために、 彼らのうちで 一神教の美点を理解している者は少ないように思われる。 彼らの多くは、 一神教は美点どころか汚点だらけであると感じているかもしれない。 一神教の神は、人間に幸福を授けるとは限らず、 艱難辛苦のみを授けるかもしれないわけであるから、 それも無理はない。

しかし、人生がいかに苦難に満ちたものであろうと、 この自分は神が必要としているから存在しているのであるという 召命意識は、 持っていても決して損にはならないものであると私は思う。 人間というものは、不条理な苦難よりも、 意味のある苦難のほうが耐え忍びやすいからである。

先日、中島らもさんの『明るい悩み相談室』を読んでいたとき、 そこに挿入された西原理恵子さんの挿絵に心を打たれた。 挿絵の中に次のような言葉が書かれていたからである。

神様がいいよと
ゆうまで生きるのが
人間の仕事なんだと
おばあちゃんが言った。[1]

それ以来、 私が西原理恵子さんのおばあちゃんの大ファンになったことは 言うまでもない。

[1] 中島らも、 『中島らもの特選明るい悩み相談室』、その3、 「ニッポンの未来篇」、集英社文庫、集英社、2002、p. 77。
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Last modified: Friday, 6 July 2007
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