存在論日記2007年/ 7月

存在論日記:2007年7月

目次

政教分離と民主主義

民主主義の国家においては、多数派がそれを望むならば、 少数派の権利を抑圧する政策を 合法的に実施することが可能である。

たとえ憲法が少数派の権利の抑圧を禁止していたとしても、 多数派は憲法を改正することによって 抑圧への道を作ることができる。 少数派の権利を守る防壁は、多数派の人々の見識のみである。

政教分離は、 国民のすべてが信教の自由を享受する上で必要不可欠な原則である。 たとえ特定の宗教を信仰する勢力が多数派を形成したとしても、 祭政一致を国策とするべきではないというのが正しい見識である。

トルコ共和国は、国民の大多数がムスリムであるが、 ケマル・アタチュルクによる1923年の建国以来、 世俗主義を国是としてきた。 しかし最近になって、 その国是の将来には暗雲が漂い始めている。

2002年11月3日に投票が実施された国会議員の選挙の結果、 定数550議席のうちの363議席を獲得して 単独与党となった公正発展党[1]は、 イスラーム主義の政党である。 しかしながら、トルコでは、 国会が議決した法案に対する拒否権を大統領が保有しており、 これまでのところ、 現職のアフメト・ネジデト・セゼル大統領[2]が 世俗主義者であったため、 トルコにおける政教分離の原則はかろうじて維持されていた。

しかし、セゼル大統領は、今年の5月16日に任期の満了を迎えた。 次期大統領はまだ選出されていないが、 もしも次期大統領として イスラーム主義の人物が就任することになれば、 政教分離の原則が大きく崩壊する可能性もある。

トルコにおいて進みつつある変化は、 決してトルコのみの特殊な現象ではなく、 またイスラームのみの特殊な現象でもない。 たとえば、 キリスト教徒が人口の三分の二以上を占める アメリカ合衆国においても、 近年のキリスト教原理主義の台頭とともに、 インテリジェント・デザイン説が公教育に導入されるなど、 政教分離の形骸化が進行しつつある。

人類は、 政教分離から祭政一致へ回帰しようとしているように見える。 22世紀の歴史家は、21世紀初頭を、 二つの時代の節目と位置付けることになるかもしれない。

[1] http://eng.akparti.org.tr/
[2] http://www.cankaya.gov.tr/eng_html/sezer.htm

ナラティブ・シグナル

「アッシリア浮彫りに描かれた物語絵画 ―時間と空間表現の観点から―」という講演に関するメモ。

日時は2007年7月7日(土)14:00〜16:00、 場所は同志社大学今出川キャンパス神学館3階礼拝堂、 講師は渡辺千香子さん、挨拶は上岡弘二さん、 司会は越後屋朗さん。

渡辺さんの講演の骨子は次のようなものである。 「アッシリアの美術、 特にアッシュルバニパル王の治政下で制作された浮彫りにおいては、 異なる時間の出来事を一つの場面の中に描くという 「異時同図法」と呼ばれる技法が頻繁に使われている[1]。 「バビロン戦利品の観閲図」においては、 異なる時間のみならず異なる空間で起きた出来事までも 一つの場面の中に描かれており、 このような表現には、 王の強大さを強調するという 政治的なプロパガンダが含まれている」

講演後の質疑応答の中で、 渡辺さんは次のようなことを述べていた。 「私はナラティブ・シグナル(narrative signal)という言葉が 気に入っている。 これまで、アッシリアの研究の中心は文字資料であり、 図像というのは二次資料にすぎなかった。 しかし、美術でしか表現できないもの、 というのもあるのではないだろうか」

ナラティブ・シグナルとは何かということについての 渡辺さんの説明を私なりに解釈すると、 図像によって何かを表現する上で導入された 約束事のことであると思われる。 広い意味での「文法」のことだと考えてよいだろう。

ナラティブ・シグナルは、現代の漫画にも存在している。 たとえば、 回想シーンであることを示すために導入される 視覚的な指標などである。 後世の研究者は、ナラティブ・シグナルを発見することなしには、 漫画を正しく解読することができないであろう。

映画においては、 「BGMというのはシーンの中で実際に鳴っている (つまり登場人物にも同じ曲が聞こえている)とは限らない」 という暗黙の了解がある[2]。 したがって、 BGMがシーンの中でも実際に鳴っているものであるという状況を 観客に伝えるためには、 何らかの方法でそれを明示しなければならない。

現状では、それを明示する方法として使われているのは、 BGMを流すために使われている演奏者や機器などを シーンの中に登場させるとか、 科白の中でBGMに言及するというようなものである。 それらの方法は、 ナラティブ・シグナルと呼ぶことができるほど 様式化されているとは言い難い。

映画のBGMがシーンの中でも実際に鳴っているということを示す ナラティブ・シグナルを誰かが発明し、 そしてそれが定着する、という未来は、 単なる夢想にすぎないだろうか。

[1] 現代の漫画における「コマ割り」という技法も 異時同図法の一種である。 ちなみに、渡辺さんは、 かつて漫画家を志望していたそうである。
[2] 先日、 「シュレック3」という映画を観たのであるが、その中に、 「BGMがシーンの中でも鳴っているとは限らない」 という暗黙の了解を皮肉っているかのようなギャグがあった。 王様になんかなりたくないと言う王子アーサーに シュレックが身の上話をしようとするシーンで、 あまりにもベタな曲がBGMとして流れる。 その曲はアーサーとシュレックの耳にも届いていて、 二人は気分を削がれてしまう。 そして、そのBGMは、 実は魔法使いマーリンが気を利かせて流したものだった、 というのがオチである。

サドル派

「イラク政治におけるサドル派の動向」 という講演に関するメモ。

日時は2007年7月17日(火)17:00〜19:00、 場所は同志社大学今出川キャンパス神学館3階礼拝堂、 講師はフアン・コール(Juan Cole)さん[1]、 挨拶と司会は富田健次さん[2]。

コールさんの講演の骨子は次のようなものである。 「サドル派はイラクのナショナリズムを標榜しており、 スンニ派とも良好な関係を持とうとしている。 その一方で、彼らは、 スンニ派との宗派間闘争に従事している シーア派の民兵に依存している。 しかし、そのような矛盾をかかえているにもかかわらず、 サドル派はイラクにおける一大政治勢力を形成しており、 アメリカは彼らの力を削ぐことに成功していない」

講演後の質疑応答の中で、「アメリカによるイラクヘの介入は、 十字軍の延長だと考えることができるのか」という質問が出された。 コールさんはそれに対して次のように答えた。 「私は十字軍という位置づけはしていない。 ブッシュ政権は世界でも有数のシーア派勢力になってしまっている。 これは、敵の敵は味方であるというリアル・ポリティクスである。 十字軍にたとえるならば、 教皇がサラディンを応援しているようなものである」

アメリカが イラクにおいて苦汁を嘗めることになった最大の要因は、 「敵の敵は味方である」 という二元論的な発想にあるのではないだろうか。 シーア派内部におけるサドル派の存在は、 少なくともイラクにおいては そのような二元論が通用しないということを意味している。

アメリカは、 かつてはサウジアラビアを支援することによって 間接的にターリバーンとアルカーイダを支援していた国である。 中東というのは、 そのようなアメリカの単純さを嘲弄するために アッラーがお創りになった陥穽なのではないだろうか。

[1] http://www.juancole.com/
[2] http://homepage3.nifty.com/kenjitomita-iran/
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Last modified: Friday, 27 July 2007
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