存在論日記2008年4月/ 法名

法名

佐々木祐玄さんの法話に関するメモ。

場所は真宗本廟(東本願寺)阿弥陀堂、 日時は2008年3月28日(金)7:58〜8:14。

佐々木さんは、 帰敬式(ききょうしき)を受けた門徒に授けられる法名について、 次のように語った。 「最近、 法名をペンネームのようなものだと思っている方がおられる。 「私の思いどおりの法名を付けてもらえないか」と言う人がいたり、 気に入った法名がもらえるまで 何回も帰敬式を受ける人がいたりする。 そこで私どもの寺では、法名を授ける際に、 その出典についての説明を書いたものをお渡ししている」

確かに、 自分が気に入っていない名前を自分の名前として名乗るというのは、 つらいことである。 もしも私が真宗大谷派の門徒だったとするならば、おそらく私も、 自分が気に入っている法名を名乗りたいと思うに違いない。

法名の出典について説明した文書を渡すという 佐々木さんの寺の試みは、 授けた法名を気に入ってもらうための手段としては適切である。 しかし、そのような試みの延長線上に、 この問題の本質的な解決が存在するとは思えない。

この問題の背後には、 宗教団体と信仰との関係をめぐる錯覚が 存在しているように思われる。 宗教団体に所属するということは、 宗教を信仰するための必要条件ではない。 すなわち、いかなる宗教に関しても、 宗教団体に所属することなく その宗教を信仰することは可能である*1。 したがって、宗教団体というのは二義的な存在であって、 それが信者に対して何らかの権威を持つという認識は、 錯覚に過ぎない。

もしも、真宗大谷派の門徒たちが、 自分や他の門徒の法名を決めることは自分たちには許されていない、 と考えているのだとすれば、 それは誤りである。 法名は宗門に授けてもらいたいと思う門徒はそうすればいいし、 自分が気に入った法名を名乗りたいと思う門徒は 自分で法名を決めればよいのである。

*1 ただし、 宗教団体が教義を秘匿している場合は例外である。
存在論日記2008年4月/ 法名
Last modified: Tuesday, 15 April 2008
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