存在論日記2008年4月/ 井上ひさしさんの色紙

井上ひさしさんの色紙

先日、内子座を訪問した。

内子座というのは、愛媛県喜多郡内子町にある芝居小屋である。 1916年に大正天皇の即位を祝して創建された。 その後、1950年には枡席が椅子に変わり、 1967年には桟敷が撤去され、 芝居小屋としての面影はしだいに失われていった。 しかし、1982年に内子町指定有形文化財となったのち、 創建当時の状態に復元された。 そして、現在もなお現役の芝居小屋として活用されている。

芝居小屋のたたずまいを十二分に堪能して、 外へ出ようとしたとき、 出入口の鴨居の上に数枚の色紙が飾られていることに気付いた。 そのうちの一枚には、 「井上ひさし」という名前と 「'93.1.23」という日付が書かれていた。

井上さんがその色紙に書いていたのは、次の言葉である。

むずかしいことをやさしく
やさしいことをふかく
ふかいことをゆかいに
ゆかいなことをまじめに
書くこと

柴壱さんがブログで報告しているところによると、 この言葉のロングバージョンが、 『すばる』2008年1月号の扉に 「ゆれる自戒」というタイトルで掲載されているそうである*1。

この言葉は、 文章を書く人間にとっての心得として書かれているが、 文章を書く人間にとってよりもむしろ、文章を読む人間にとって、 心に留めておく必要のあるものなのではないかと私には思われる。 なぜなら、文章というのは往々にして、 表面的にはやさしいけれども実はむずかしいことが書かれていたり、 表面的にはふかいけれども実はやさしいことが書かれていたり、 表面的にはゆかいだけれども実はふかいことが書かれていたり、 表面的にはまじめだけれども実はゆかいなことが 書かれていたりするため、 誤読に導かれてしまうことが多いからである。

むずかしいことをやさしく書くというのは、 読者に対して親切なことのように思われるかもしれない。 しかしそれは、かえって誤読を誘発する原因となる。 むずかしいことを読者に正確に伝えるためには、 そのむずかしさを反映した文章が必要なのである。 むずかしいことのみならず、 ふかいことやゆかいなことも同様である。 したがって、「ゆれる自戒・大黒版」は次のような言葉となる。

むずかしいことはむずかしく
やさしいことはやさしく
ふかいことはふかく
ゆかいなことはゆかいに
まじめなことはまじめに
書くこと
*1 http://black-shibainu-165.blog.so-net.ne.jp/2008-01-02
存在論日記2008年4月/ 井上ひさしさんの色紙
Last modified: Thursday, 24 April 2008
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