存在論日記2008年5月/ 艮の金神とアッラーの同一性

艮の金神とアッラーの同一性

小原克博さんは、 「シリアのクフタロウ財団と調印」*1という ブログエントリーにおいて、 大本(大本教)*2と クフタロウ財団(Sheikh Ahmad Kuftaro foundation)*3との 関係について次のように述べている。

大本の教祖の一人である出口王仁三郎がイスラームと出会っており、 それ以来の関係があるようなのですが、 大本の「神」とイスラームの「神」は同じだ という理解に立っているようです。 万教同根をとく大本の考えからすれば、 自然なことのようにも思えますが、大本のHPなどを見ても、 イスラームとの関係はまったく述べられていません。

大本の神というのは 「艮の金神(うしとらのこんじん)」*4のことであり、 イスラームの神というのは「アッラー」のことである。 したがって、 「大本の「神」とイスラームの「神」は同じだ」という命題は、 「艮の金神とアッラーは同一である」と言い換えることができる。

私は、「任意の神であるAとBについて、 AとBは同一である」という命題は真であると考えている。 「艮の金神とアッラーは同一である」という命題は、 その命題から導出することが可能である。 ただし、 この命題で使われている「同一である」という言葉については、 多少の但し書きが必要である。

神であるAとBについて、 「AとBは同一である」という命題が主張される場合、 その命題に含まれている「同一である」という言葉は、 必ずしも厳密な意味で使われているとは限らない。

神というのは、 その内部に神々を包含することが可能である*5。 神々を包含している神を、 包含されている神々の「実体」(substance)と呼び、 神に包含されている神を、 包含している神の「位格」(person)と呼ぶことにしよう。

神と神の間の同一性について主張する命題は、 厳密な意味での同一性を主張している場合もあるが、 神々の間の包含関係を主張している場合もある。 すなわち、神であるAとBについて主張される、 「AとBは同一である」という命題は、

のいずれかを意味しているのである。

「艮の金神とアッラーは同一である」という命題は、 おそらく、 「艮の金神とアッラーは共通の実体に対する位格である」 という意味ではないかと思われる。

*1 http://www.kohara.ac/blog/2005/03/post-170.html
*2 http://www.oomoto.or.jp/
*3 http://www.muslimdatabase.com/abunour/english/
*4 「国常立尊(くにとこたちのみこと)」とも呼ばれる。
*5 神々の包含関係については、 「共存型一神教入門」 ( http://www.monotheism.jp/sutra/primer.htm)の第二節を 参照されたい。
存在論日記2008年5月/ 艮の金神とアッラーの同一性
Last modified: Saturday, 17 May 2008
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