存在論日記2008年5月/ 報復感情

報復感情

「松本サリン事件からの教訓」という講演に関するメモ。

日時は2008年5月10日(土)13:30〜15:00、 場所は都島区民センター、講師は河野義行さん。

松本サリン事件においては、 オウム真理教が真犯人として浮上するまでの数ヶ月にわたって、 警察もマスコミも、 第一通報者である河野さんに疑惑の目を向け続けた。 その渦中にあった河野さんの体験談は、 身の毛もよだつという表現すら生ぬるいと思えるほど 恐ろしいものだった。 恐ろしいのは警察とマスコミだけではない。 それらに匹敵するほど、あるいはそれ以上に恐ろしいのは、 マスコミの報道を鵜呑みにした世間の人々である。

切っても切ってもかかってくる 無言電話やいやがらせ電話に耐えかねた長男が、 「電話番号を変えてくれ」と河野さんに頼んだとき、 彼は長男に次のように言ったそうである。 「番号を変えることは現実から逃げることだ。 どんな電話でも正面から対処しろ。 心を高い位置に置け。 何をされても、何を言われても許してやれ。 無言電話には、「あなたは何も言いたいことがないようですから、 電話を切らせていただきます」と言ってから切れ」

この話を聞いて、私は、中村薫さんが紹介していた、 いじめによる自殺で息子を失った 大河内祥晴さんの話*1を思い出した。 「息子さんを自殺に追い込んだ人たちのことが憎くないのか」 と中村さんが大河内さんに尋ねたとき、 彼は、「憎い。 しかし、憎しみでは人と出会えない」と答えたそうである。

事件の被害者とその家族にとって、 幸福を取り戻す上で最大の障害となるのは、報復感情、 すなわち怨みである。 自分たち自身の報復感情に囚われている限り、被害者もその家族も、 自分たちの幸福を取り戻すことはできない。 このことについては、ブッダも次のように述べている。

実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、 ついに怨みの息むことがない。 怨みをすててこそ息む。 これは永遠の真理である。*2

河野さんや大河内さんの言葉は、 このブッダの言葉の変奏曲である。 ただし、これらの言葉は、 悟りの境地に達した者でなければ発することのできないもの、 というわけではない。 「怨みをすててこそ息む」というのは、 少し落ち着いて考えれば容易にたどり着くことのできる 合理的な結論に過ぎない。 しかし、その結論に到達することは容易だとしても、 実際に報復感情を捨て去ることは、必ずしも容易とは言えない。

ところで、ここから先は余談であるが、 事件の当事者ではない第三者は、 被害者とその家族に感情移入することによって、 加害者に対する報復感情を持とうと努める傾向にある。 なぜなら、そうすることによって、 加害者に報復が加えられたときに カタルシスを得ることができるからである。 マスコミによる報道も、 このドラマツルギーに基づく物語の構築を支援しようとする。

その結果として発生する社会的な報復感情は、 被害者とその家族が 自分たちの報復感情を捨て去ることを阻害する方向に機能する。 これは、被害者とその家族にとって、 第二の被害と呼ぶべきものである。

*1 http://sonzai.org/2007/08.htm#deai
*2 中村元訳、「真理のことば」、五、 『ブッダの真理のことば・感興のことば』、岩波文庫、岩波書店、 1978、p. 10。
存在論日記2008年5月/ 報復感情
Last modified: Wednesday, 28 May 2008
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