存在論日記2008年6月/ ハヤトロギア

ハヤトロギア

「レオ・べックと有賀鐡太郎―京都におけるユダヤ学の黎明―」 という講演*1に関するメモ。

日時*2は2008年6月7日(土)16:20〜17:20、 場所はクラーク・チャペル (同志社大学今出川キャンパス・クラーク記念館2階)、 講師は勝村弘也さん。

勝村さんの講演は、 レオ・べックと有賀鐡太郎の生涯と思想について、 そして『ユダヤ教の本質』の翻訳をめぐる ベックと有賀との交流について語ったものである。

この講演の中で勝村さんは、 「ハヤトロギア」という単語を二回ほど口にした。 しかし、恥ずかしながら私にはその単語の意味が分からなかった。 気になったので、講演ののちにグーグル先生に尋ねてみたところ、 先生は、 朱門岩夫さんの「オリゲネスにおける神の本性とエネルゲイア」 という論文の「緒言」*3が参考になると教えてくれた。

朱門さんは「緒言」の冒頭で、 「ハヤトロギア」という言葉について説明している。 要約すると、次のような説明である。 「「ハヤトロギア」は、 有賀鐵太郎が『キリスト教思想における存在論の問題』の中で、 ユダヤ教とキリスト教に固有の神観に対して与えた名前である。 ハヤトロギアの「ハヤ」は、『出エジプト記』第3章第14節にある、 モーセから名前を問われた神がそれに答えて告げた、 「私は「私はある」という者である」(原文のヘブライ語では 「エヒイエ・アシェル・エヒイエ」(ehyeh asher ehyeh)) という言葉で使われている、 「エヒイエ」(ehyeh)という単語の 不定形「ハーヤー」(hayah)に由来している。 「ハーヤー」という動詞は、本来、 「生成する」というような作用的な意味を持つものであり、 「存在する」という意味は付随的なものである。 すなわち、ユダヤ教とキリスト教の神は、 常に働き続けることによって万物を存在せしめる存在者なのである。 オントロギアが 神と存在とを静止的に捉えようとするものであるのに対して、 ハヤトロギアはそれらを力動的に捉えようとするものである」

地球上にはさまざまな宗教があり、 それぞれの宗教は固有の魅力を持っている。 アブラハム宗教も例外ではない。 私は、アブラハム宗教の最大のチャームポイントは、 その本質が存在論であるという点にあると考えている。

アブラハム宗教は、 存在論的な幸福を人間に気付かせることを 最大の目的としているのではないか、 と私には思われる。 存在論的な幸福というのは、 「宇宙というものが存在していて、その中に、 思考することのできる存在者として自分が存在している」 という幸福のことである。 これは、あらゆる人間に平等に与えられている幸福であるが、 気付かなければ見過ごされてしまう幸福である。 アブラハム宗教の神が存在論的なのは、 神という補助線を引くことによって、 存在論的な幸福がすべての人間に与えられている、 ということの理解を容易にするためではないだろうか。

*1 この講演は、 京都ユダヤ思想学会が 第一回学術大会の一部分として実施したものである。
*2 開始時刻は、予定では16時20分だったが、 それ以前の研究発表が長引いたためか、 実際に開始されたのは16時37分ごろだった。
*3 http://www8.plala.or.jp/StudiaPatristica/energeia1.htm
存在論日記2008年6月/ ハヤトロギア
Last modified: Tuesday, 1 July 2008
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