存在論日記2008年9月/ 過剰にアレゴリカルなスーパーヒーロー映画

過剰にアレゴリカルなスーパーヒーロー映画

「ハンコック」(原題:Hancock、 脚本:ヴィンセント・ノー(Vy Vincent Ngo)、 ヴィンス・ギリガン(Vince Gilligan)、 監督:ピーター・バーグ(Peter Berg))という映画を観た(以下、 ネタバレあり)。

この映画の主人公は、 ウィル・スミス(Will Smith)さんが演じている、 ジョン・ハンコック(John Hancock)という名前を持つ生命体であり、 この映画のタイトルは彼の名前から取られている。 ハンコックは人間離れした身体能力を持つ生命体であり、 彼はその能力を正義のために使用する。 したがって、 この映画は いわゆる「スーパーヒーロー映画」(superhero movie)である。

スーパーヒーロー映画というのは 多かれ少なかれアレゴリカルな解釈が可能である*1。 しかし、たいていのスーパーヒーロー映画においては、 アレゴリカルな解釈というのは あくまで深読みの部類に属するものである。 この点に関して、 「ハンコック」という映画は 他のスーパーヒーロー映画とは一線を画している。 なぜなら、この映画は、 本来ならば一部の観客の楽しみであるアレゴリカルな解釈を、 より多くの観客にも楽しんでもらおう、 という意図のもとに作られているからである。

どのような活躍をする場合でも、ハンコックは、 自分のスーパーパワーを出し惜しみするということがない。 その結果として、さまざまなものが破壊され、 計り知れない迷惑が発生する。 彼は明らかに、 オサマ・ビンラディンという一人の犯罪者を逮捕するために アフガニスタンに爆弾の雨を降らせた アメリカ合衆国のアレゴリーである。

この映画は、 前半と後半という二つのパートから構成されている。 それらのパートは、登場人物はほぼ共通であるが、 物語としてはそれぞれが独立している。 前半は分かりやすいアレゴリーのもとに物語が展開するが、 後半の物語はきわめて謎めいている。 もしも この映画がありきたりのスーパーヒーロー映画であったならば、 後半については 「展開が意味不明である」と非難されてもおかしくない。 しかし、 この映画が ありきたりのスーパーヒーロー映画ではないということは、 その前半が証明している。 したがって、 後半についても何らかの解釈が可能であるに違いない。

この映画の後半を解釈するための鍵を握っているのは、 メアリー・エンブリー(Mary Embrey)という名前を持つ 登場人物である(演じているのは シャーリーズ・セロン(Charlize Theron)さん)。 彼女は、厳密に言えば「人物」ではなく、 ハンコックと同じ種族に属する生命体である。 もしも、ハンコックと同様、 彼女もまたアレゴリカルな登場人物なのだとするならば、 彼女はいったい何のアレゴリーなのだろうか。

前田有一さんは、 「ハンコック」について批評している 「超映画批評」のエントリー*2の中で、 メアリーはロシアのアレゴリーであると示唆している。 互いに接近すると力が弱くなるという ハンコックとメアリーとの関係には、 友好関係が続くと軍事産業が打撃を受けるという 米露関係が投影されている、 と前田さんは指摘している。

前田さんの解釈では ハンコックのアレゴリカルな意味は一つだけであるが、 いくつかの意味が重なり合っているという解釈も可能である。 私は、ハンコックというスーパーヒーローには、合衆国に加えて、 父性原理という意味も重なっているのではないかと思う。 そして、ハンコックが父性原理だとするならば、 おそらくメアリーは母性原理のアレゴリーであろう。 彼女の役名は、 聖母マリアを意識したネーミングなのかもしれない。

町田宗鳳さんは、 『人類は「宗教」に勝てるか―一神教文明の終焉―』の中で 次のように述べている。

プロテスタントの信仰は、あくまで聖書が中心で、 カトリックのように絵画や像を礼拝の対象にすることはない。 ましてや、イエスの母といえども、 一人の人間に過ぎないマリアを拝むことは、 一種の偶像崇拝であった。

ところが、最近のアメリカのプロテスタント系の教会で、 聖母マリアの存在が大きくなりつつあるという。 これは、神学的にみれば珍現象であるが、 深層心理学的には当然の成り行きのように思われる。*3

プロテスタント、イスラーム、ユダヤ教などは、 父性原理にもとづく宗教である。 したがって、それらの宗教の影響下にある国々においては、 母性原理が心理的な抑圧の対象となっている。 この映画の前半において、 メアリーは自分の素性を隠して人間の女性として暮らしているが、 これは、 母性原理が心理的に抑圧されている状態のアレゴリーであると 解釈することができる。 そのように解釈した場合、この映画の後半の展開は、 母性原理が復権を果たそうとしている現在の趨勢や、 その復権に伴って生ずる逆説的な状況を、 アレゴリカルに表現しているということになる。

この映画の後半において、 ハンコックとメアリーは次のような言葉を交している。

Hancock: You and I...
Mary Embley: You and I what?
Hancock: ...we're the same.
Mary Embley: No. I'm stronger.*4

ハンコックが父性原理であり メアリーが母性原理であるという解釈のもとでは、 この対話はきわめて大胆な問題提起であるように思われる。

*1 この点については怪獣映画も同様である。
*2 http://movie.maeda-y.com/movie/01166.htm
*3 町田宗鳳、 『人類は「宗教」に勝てるか―一神教文明の終焉―』、 NHKブックス、1085、日本放送出版協会、2007、p. 112。
*4 http://www.imdb.com/title/tt0448157/quotes
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Last modified: Monday, 29 September 2008
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