存在論日記2008年10月/ 世界補完計画

世界補完計画

私は先日、 「異端とかそういう類の人の叙階って有効なの?」*1という 金田一輝さんのブログエントリーに対するコメントの中で、 次のように述べた。

私は、 地球上に存在するすべての宗教には存在意義があると 考えています(人民寺院とかオウム真理教のように 反面教師的な存在意義を持つものもありますが)。 そして、「異端」と呼ばれる逸脱も、 何らかの必要性があって生じてくるものではないかと 私には思われます。

しかし私は、そのコメントを書いた時点では、 異端が生じてくる必要性とはいったい何なのか、 という問題については何も考えていなかった。 しかし、この問題について若干の検討を進めた結果、 現在は一つの仮説に到達している。 その仮説というのは、「ヤハウェによる万物の創造は、 世界の補完を目的とするものである」という命題である。

「ヤハウェ」と呼ばれる神は唯一神であり、したがって、 その一柱の神があらゆる性質を完備するということは不可能である。 したがって、 もしも世界の中に ヤハウェ以外にはいかなる存在者も存在しないとするならば、 その世界は バランスを欠いた不完全なものであると言わざるを得ない。 そこでヤハウェは、 自分にはない性質を持つ存在者を創造することによって、 自分とそれらの被造物から構成される 完全なる世界を構築しようと計画した。 すなわち、ヤハウェが万物を創造した目的は、 世界をより完全なものにすることなのである。

神が所有していない性質のうちで、 補完される必要性のもっとも高いものの一つは、多様性である。 したがって、ヤハウェは、自分が創造した事物に対して、 自らの多様性を豊かにしようとする指向性を与えた。 たとえば、生物の進化のプロセスが種の多様性を生み出すのは、 その指向性によるものである。

そして、人類の文化もまた、 時間とともにその多様性が豊かになるように、 ヤハウェによって宿命づけられている。 たとえば、言語という文化的な産物においては、 標準化という人為的な努力をしない限り、 方言化がとめどなく進行することになる。

宗教という文化的な産物もまた、 多様化という宿命から逃れることはできない。 一つの宗教を信仰している人間の集団が、 時間の経過とともにさまざまな宗派へ分化していくという現象は、 必然的に発生するものである。

宗教がいくつかの宗派に分化したとき、 そのうちの一つの宗派のみが「正統」と呼ばれ、 それ以外の宗派は「異端」と呼ばれる場合もある。 これは、 信者たちが 中央集権的な組織を持っている場合に発生する現象である。 そのような組織は、 自分たちが「異端」とみなした宗派に対して 迫害や弾圧を加える傾向にある。

しかし、分化した宗派に対する迫害や弾圧は、 ヤハウェの意図にかなったものではない。 なぜなら、ヤハウェが万物を創造した目的は、 被造物によって世界を補完することであり、 宗教の多様性が豊かになることもまた、 その目的を成就するために必要なことだからである。

*1 http://defencecatho.seesaa.net/article/103856410.html
存在論日記2008年10月/ 世界補完計画
Last modified: Wednesday, 8 October 2008
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