存在論日記2009年/ アミタクラシーとベーシック・インカムと純粋芸術

アミタクラシーとベーシック・インカムと純粋芸術

譲西賢さんの法話に関するメモ。

場所は真宗本廟(東本願寺)阿弥陀堂、 日時は2009年5月23日(土)午前7時40分ごろ。

譲さんは次のように語った。 「マイケル・ヤング(Michael Young)*1という イギリスの社会学者は、 1958年に発表した小説の中で、当時のイギリスの社会を、 「メリトクラシー」(meritocracy)、 すなわちメリットがない人間は 生きていくことができない社会である、 と風刺した。 現在の日本は、50年前のイギリスと同じ状況にある。 社会にとってメリットのない人間は切り捨てられ、 役に立つ人間だけが大事にされている。 松田正典さん*2は、 「アミタクラシー」(amitacracy)というものを提唱している。 それは、 あらゆる人間が如来によって生きていくことのできる社会である」

「アミタ」(amita)というのはサンスクリット語の言葉である。 「量ることができない」というのがその意味で、 漢訳仏典では「無量」と訳されている*3。 したがって、「アミタクラシー」(amitacracy)というのは、 個々の人間の価値というものは いかなる尺度によっても量ることができない、 という前提の上に立つ社会制度のことであろうと思われる。

メリトクラシーにおいては、個々の人間は、 役に立つかどうかという尺度によって量られ、 役に立たないと判定された人間は、 生きていくことさえままならない状況に置かれる。 それに対して、アミタクラシーにおいては、 役に立つか否かとは無関係に、 あらゆる人間がその価値を認められ、生存を保証される。

私は、譲さんの法話を聴いて、 朝日新聞に載っていた一つの記事を思い出した。 その記事というのは、藤生京子さんという記者が書いた、 「ベーシック・インカム」(basic income)という言葉についての 解説である。 ベーシック・インカムというのは、 「すべての個人に、無条件に、定期的に給付される基本所得*4」 のことであると藤生さんは説明している。 アミタクラシーというのが抽象的な制度であるのに対して、 ベーシック・インカムは、 アミタクラシーを実体化した具体的な制度である。

私は、ベーシック・インカムという制度の導入に、 全面的に賛成したいと思う。 私がそれに賛成する第一の理由は、その制度の導入によって、 純粋芸術を志す芸術家が大幅に増加するに違いない と思うからである。 「純粋芸術」(pure art)というのは、 芸術のための芸術のことである。 経済的な価値を生み出さない芸術、と言い換えることもできる。

芸術家は、生身の人間である以上、 生きていくために生活費を必要とする。 純粋芸術を志す芸術家は、 自分の作品によって生活費を稼ぐことができないため、 純粋芸術の創作ではない、 それ以外の労働によって自分の生活費を稼がなければならない。 したがって、創作活動に費すことのできる時間が、 著しく制限されてしまう。 しかし、ベーシック・インカムという制度が導入されたならば、 純粋芸術を志す芸術家も、生活費の心配をすることなく、 好きなだけ創作活動に時間を割くことができる。

ベーシック・インカムは、 純粋芸術を志す芸術家にとってのユートピアを生むだろう。 私は、そのような社会の実現を心から望んでいる。

*1 http://en.wikipedia.org/wiki/Michael_Young_(politician)
*2 http://home.hiroshima-u.ac.jp/masa/index-j.html
*3 「阿弥陀」という如来の名前も、 量ることのできない寿命(無量寿)を意味する 「アミターユス」(amitayus)、 または、 量ることのできない光(無量光)を意味する 「アミターバ」(amitabha)に由来するものである。
*4 藤生京子「ベーシック・インカム」、 『朝日新聞』、2009年5月11日。
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Last modified: Wednesday, 8 July 2009
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