存在論日記2009年/ アジールとしてのオープンソース運動

アジールとしてのオープンソース運動

「第1回テックカフェ」*1という茶話会に参加した。

日時は2009年4月26日(日)の午後2時から午後5時まで、 場所は六甲道勤労市民センター5階「あじさい」。

この茶話会は、 オープンソースの関係者とNPOの関係者が集まって、 NPOにおけるITの問題について、お茶を飲みながら語り合おう、 という趣旨のものである。 今回はその第1回で、今後も2ヶ月ごとに開催される予定である。 ちなみに、この茶話会を主催しているのは、 ITの側面からNPOの活動を支援している、 ひょうごんテック*2という組織である。

第1回の茶話会は二部構成で、前半は、 ひょうごんテックの世話人の一人であり、 実質的な代表者である吉野太郎さんによる、 「NPOはITでどう困っているの?― 市民活動団体のIT環境の変化の歴史と、 いま活用するためのポイント―」という講演だった。 そして後半には、茶話会に集まった人々の間で、 ITなどに関するさまざまな情報交換があり、それは、 和気靄靄とした雰囲気の中で進められた。

後半の冒頭で、 茶話会に集まった人々に自己紹介の機会が与えられた。 私は、自分に順番が回ってきたとき、 名前と所属(一神教学会)を述べたのち、 「オープンソース運動に関心を持っている」と付け加えた。 しかし、自己紹介が終わったあとで、 自分はいかなる理由でオープンソース運動に関心を持っているのか ということについて、 もう少し具体的に喋ればよかった、と後悔した。

私がオープンソース運動に関心を持っている理由は、 それがアジール型の社会改革のモデルとして 価値が高いと考えているからである。 私が「アジール型の社会改革」と呼んでいるのは、 社会が持っている問題に正面から対峙するのではなく、 その問題から逃れることのできるアジールを作って、 そのアジールの勢力範囲を少しずつ広げていくことによって 社会を改良していく、 というタイプの社会改革のことである。 社会が持っている問題には、 明らかな不正義を原因とするものばかりではなく、 不正義が存在していないにもかかわらず、 一部の人間に居心地の悪さを感じさせる、 というタイプの問題もある。 アジール型の社会改革は、後者の問題を解決する上で、 かなり有効な方法であると私は考えている。

オープンソース運動というのは、 ソフトウェアのソースコードを改変することができるのは 特権を持つ一部の開発者だけ、 ということが当然とみなされる社会の中で 居心地の悪さを感じる人間たちが作った、 そのような問題から逃れることのできるアジールである。 オープンソース運動というアジールは、 その勢力範囲を少しずつ広げつつあり、現在では、 ソースコードの改変を許すライセンスで配布されている ソフトウェアというのは、 それほど特殊な存在ではなくなっている。

現代の日本の社会には、さまざまな問題が存在している。 そして、それらの問題の多くは、 明らかな不正義が原因として存在していないにもかかわらず、 一部の人間たちに居心地の悪さを感じさせるタイプのものである。 したがって、それらの問題の多くは、 適切なアジールの構築によって 解決することが可能であるように思われる。 そして、 そのようなアジールはどのように構築すればよいのか ということに関して、 我々は、 オープンソース運動から多くのことを学ぶことができるのではないか と思われる。

*1 http://tcc117.org/hyogontech/archives/143.html
*2 http://tcc117.org/hyogontech/archives/5.html
存在論日記2009年/ アジールとしてのオープンソース運動
Last modified: Wednesday, 27 May 2009
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