存在論日記2009年/ 情報エンジニア科の新入生の皆さんへ

情報エンジニア科の新入生の皆さんへ

情報エンジニア科に入学した新入生の皆さん、 入学おめでとうございます。 情報エンジニア科という学科の使命は、皆さんを、 プログラマーなどの情報系のエンジニアにすることです。

ところで、鬼というのは、たいてい金棒を持っています。 鬼が金棒を持つ目的は、武器として使うためだけではありません。 金棒というのは、それを持っている者が鬼だということを示す、 目印としての役割も重要です。 金棒を持っていない鬼は、遠くから見ると、 本当に鬼なのかどうか判然としません。 角が生えているから鬼だろうと思って近寄ってみたら 角に見えたものは猫耳だった、 という話もしばしば耳にするところです。 しかし、鬼が金棒を持っていれば、遠くからでも、 それが鬼だということは一目瞭然です。

情報系のエンジニアを鬼にたとえるとするならば、 その鬼が持つ金棒に相当するのは、情報系の資格です。 企業が情報系のエンジニアを採用する場合に、 応募者がエンジニアとしての力量を本当に持っているかどうかを 正確に判断したいと思ったならば、 実際に仕事をさせてみるというのが最善の方法です。 しかし、応募者に実際に仕事をさせて判断するためには、 相当な時間と労力が必要となります。 そのような時間と労力を割くことができない場合は、 何らかの次善の方法を選択する必要があります。 情報系の資格を持っているかどうかで判断するというのは、 鬼ではない応募者を鬼だと誤認してしまう確率が、 それほど高くない方法の一つだと言っていいでしょう。

ところで、情報エンジニア科の修業年限は2年間です。 私が学生だった30年前には、2年間というのは、 人間が鬼になるための時間として十分な長さでした。 ですから、人間から鬼になることができるだけではなくて、 金棒を持つ鬼になることのできる時間の余裕がありました。 しかし、そののち情報系の技術は高度化の一途をたどりました。 その結果、現在では、人間が鬼になるための時間として、 2年間というのは、 それほど余裕のある長さとは言えなくなってしまいました。 ですから、皆さんの中で、 金棒を入手しないままで卒業の日を迎える人も少なくないでしょう。

さて、ここで私は皆さんに、 金棒第一主義という危険な考えに 魅惑されないように注意しましょう、 ということを申し上げなければなりません。 金棒第一主義というのは、 鬼になることよりも金棒の入手を優先させるという考えのことです。 つまり、鬼になるための努力を後回しにして、 人間のままで金棒の入手を目指そう、という考えです。

人間のままで金棒を入手するというのは可能なのか、 という疑問を抱いた人がいるかもしれませんので、 その点について説明しておきましょう。 先ほど申し上げたように、 人間なのか鬼なのかを判定するための最も正確な方法は、 仕事をさせてみることです。 しかし、金棒を与えてもよいかどうかを判定する方法は、 仕事をさせてみるという方法ではなくて、 単なるペーパーテストです。 ペーパーテストならば、たとえ人間であっても、 過去に出題された問題を解く練習をすれば、 高い点数を取るというのはそれほど困難なことではありません。 したがって、人間のままで金棒を入手することは、 決して不可能なことではないのです。

金棒第一主義は、きわめて魅惑的な考えです。 鬼になるために腕を磨くというのは苦しい修行ですが、 それに比べれば、ペーパーテストに合格するための受験勉強は、 それほど苦しいものではありません。 そして、金棒を持っていれば就職に有利だという事実も、 この考えを魅惑的なものにしています。 さらに、鬼ではない人間にとって、金棒を入手するというのは、 あたかも自分が鬼になったかのような錯覚を与えてくれる 甘美な経験です。 それを味わった者は、それとは違うタイプの金棒や、 さらに重量の重い金棒を入手したいという熱情にかられたとしても、 不思議ではありません。 そのようにして、金棒第一主義に魅惑されてしまった学生たちは、 鬼になることなく、 人間のままで卒業の日を迎えることになってしまいます。 このように、金棒第一主義は、魅惑的である反面、 セイレーンの歌声のごとく危険な考えなのです。

ここで、次のような反論が予想されます。 すなわち、 重要なのは希望する企業に就職することができるかどうかであって、 卒業の時点で鬼になっているか人間のままかというのは、 それほど重要なことではない、という反論です。 確かに、就職というのが究極のゴールだと仮定するならば、 まったくそのとおりです。 就職ができさえすれば、 人間のままで卒業したとしても何の問題もありません。 しかし、その仮定は間違っています。 就職というのは究極のゴールではありません。 むしろ逆です。 職業人としてのスタートラインに立つことが就職なのです。 鬼を必要とする職場に、人間でありながら配属された者は、 そののちの職業人としての人生を、 職場の「お荷物」として生きていかざるを得ません。

さらに、次のような反論も予想されます。 すなわち、たとえ人間のままで卒業することになったとしても、 卒業したのちに鬼になるための修行をすればいいではないか、 という反論です。 このような反論をする人に対しては、 次のように言う必要があります。 学校を卒業した直後の者は、たとえ鬼になっていたとしても、 それは最低ランクの鬼です。 最低ランクの鬼は、さらに修行を積んで、 一つ上のランクの鬼を目指さないといけません。 そして、一つ上のランクの鬼になったとしても、 それで終わりではありません。 鬼というのは、 常にランクを昇っていかなければならない存在なのです。 学校を卒業した時点で依然として人間のままでいる者は、 永遠に同期の鬼たちの後塵を拝することになります。

金棒第一主義がいかに危険な考えであるか、 お分かりいただけたでしょうか。 それはセイレーンの歌声のごとく甘美ですが、皆さんは、 決してそれに魅惑されてはいけません。 たとえその歌声が耳に入ってきたとしても、 自分の体を帆柱に縛りつけたオデュッセウスを見習って、 鬼になるという目標を見失うことなく、 まっすぐに前進していっていただきたいと思います。

存在論日記2009年/ 情報エンジニア科の新入生の皆さんへ
Last modified: Thursday, 9 April 2009
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