存在論日記2009年/ 葬式仏教

葬式仏教

「説教を語る者の喜び」というシンポジウムに関するメモ。

日時は2009年3月11日(水)13:00〜16:00、 場所は同志社大学今出川キャンパス神学館3階礼拝堂、 講師は加藤常昭さん、深田未来生さん、司会は関谷直人さん。

講演後の質疑応答の中で加藤さんが語った次のような話が、 とても印象に残った。 「私が学生だったとき、私の友人が自殺をした。 彼の両親は、 人間にはこれほどの水分があったのかと驚くほど泣き続けていた。 そのとき、葬式で導師を務めていた禅僧が、 両親に向かって「喝!」と声を放った。 その瞬間、私は自分の体が床から浮き上がったように感じた。 両親の涙は止まっていた。 それ以来、私は、 「葬式仏教」という言葉は決して蔑称ではないと考えている」

「葬式仏教」は蔑称ではないという加藤さんの見解に対して、 私も賛意を表明したいと思う。 日本人は、神道、仏教、道教、儒教、 キリスト教などのさまざまな宗教の教えが堆積してできた、 きわめて重層的な死生観を持っている。 葬式仏教は、個々の宗派に固有の死生観のみにこだわることなく、 日本人が持つ重層的な死生観に寄り添うようにして、 遺族たちの喪の作業(grief work)を手助けしてきた。 80年に及ぶ国家神道の時代を経てもなお、 葬式を挙行するための宗教としての 仏教の地位が不動であることからも、 日本人が持つ仏教に対する信頼を読み取ることができる。 日本人の多くは、仏教徒であろうとなかろうと、 自分が死んだときは仏教式の葬式によって自分を送ってもらいたい と思っているのではないだろうか。

日本の人口に占めるアブラハム宗教(ユダヤ教、キリスト教、 イスラーム)の信者の比率は、1%に満たない。 日本人の多くがアブラハム宗教を敬遠しているという現象は、 おそらく、さまざまな要因が複合した結果として生じたものである。 アブラハム宗教の信者になると、 自分が死んだときに挙行される葬式が、 その宗教の伝統に則ったものになり、 仏教式の葬式によって送ってもらうことが 不可能になってしまうのではないか、 という危惧も、 日本人の多くがアブラハム宗教を敬遠する 要因の一つなのではないだろうか。

存在論日記2009年/ 葬式仏教
Last modified: Tuesday, 17 March 2009
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