存在論日記2009年/ 親鸞聖人七百五十回御遠忌のテーマ

親鸞聖人七百五十回御遠忌のテーマ

田村晃洋さんの法話に関するメモ。

場所は真宗本廟(東本願寺)阿弥陀堂、 日時は2008年12月24日(水)7:32〜7:43。

田村さんの法話は、次のような内容だった。 「先日、私の孫が次のように私に言った。 「「今、いのちがあなたを生きている」という 親鸞聖人七百五十回御遠忌のテーマは、 「いのちとともにあなたが生きている」 と言い直すならば受け留めることができるのだが、 このままでは意味がよく分からない」と。 門徒の方からも、「このテーマはよく分からない」と言われる。 しかしこのテーマは、 心の中に大いなる問いを起こさせてくれるという点で、 素晴らしいものである」

アブラハム宗教と仏教との最大の相違点は、 真理の源泉が何であると考えられているかという点にある。 アブラハム宗教においては、 人間の外部に存在する神が真理の源泉であり、真理は、 啓示という手段によって神が人類に与えるものである。 それに対して、仏教においては、 人間の内部に存在する心が真理の源泉であり、真理は、 人間が自分自身の心を探究することによって獲得するものである。 その結果として、 アブラハム宗教における真理が 全人類に共通のものであるのに対して、 仏教における真理は個々の人間ごとに異なるものとなる。

自分自身の心を探究すること、 言い換えれば自分の無意識を分析することは、 人間にとって容易なことではない。 真理にかかわる問いについて考え続けることは、 それを容易にするための方法の一つである*1。 真宗大谷派が 宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌のテーマとして掲げている、 「今、いのちがあなたを生きている」という命題は、 真理にかかわるさまざまな問いを そこから引き出すことのできるものであり、田村さんも言うとおり、 テーマとして素晴らしいものである。 このテーマを提起した「御遠忌テーマに関する委員会」*2は、 このテーマによって信徒たちが各自の心の探究に赴くことを 期待しているのであろうと想像される。

1979年の真宗学会大会において講演をした森三樹三郎さんは、 その講演を次の言葉で締め括っている。

われわれ人間は無限の死の世界から生まれてきて、 ほんの瞬間の生を経験し、 ふたたび無限の世界に帰ってゆくのであります。

この無限の世界を、生の否定とは考えないで、 むしろ生を包み込むものとして捉えるのが 浄土教ではないでしょうか。 その意味で、浄土教は死の肯定の宗教であり、 阿弥陀仏は死そのものの象徴であると考えるのであります。*3

死について問うことは、 浄土教(真宗大谷派もその一派である)の原点である。 「今、いのちがあなたを生きている」という命題からは さまざまな問いを引き出すことが可能であるが、 それらの問いの中で最も根源的であると思われるのは、 「死とは何か」というものである。 そのような命題を 宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌のテーマとして提起した 「御遠忌テーマに関する委員会」は、 信徒たちが各自の心の探究に赴くことのみならず、 彼らが浄土教の原点を再確認することをも 期待しているのかもしれない。

*1 臨済宗において重視される公案も、 そのような役割を持つ問いである。
*2 http://higashihonganji.jp/goenki/5houkoku.html
*3 森三樹三郎「死の象徴としての阿弥陀仏」、 『老荘と仏教』、講談社学術文庫、1613、講談社、2003、p. 287。
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Last modified: Friday, 16 January 2009
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