存在論日記2009年/ 霊魂は不滅であるという教義の副作用

霊魂は不滅であるという教義の副作用

私は、 昨年の5月に書いた「死後の世界」*1というエントリーの中で、 次のように述べた。

私が作った宗教である共存型一神教は、 人間は死んだのちにどうなるかということについて、 何も述べていない。 その理由は、「百聞は一見に如かず」だからである。 もしも死後の世界が存在するならば、人間は、 死んだのちに自分の目でその世界を確かめることができる。 したがって、死後の世界について、 生前から特定の見解に固執する必要はない。

人間は死んだのちにどうなるか、 という問題について共存型一神教*2が何も述べていない理由は、 それだけではない。 もう一つの理由は、 それについて述べることは諸刃の剣だからである。

宗教の多くは、人間が死によって失うものは肉体のみであり、 その霊魂が死によって消滅することはなく、 死んだのちも外界に対する認識や理性的な思考は継続される、 という教義を含んでいる。 そのような教義の目的は、 おそらく次のような効果を得ることであろう。

これらは、 霊魂は不滅であるという教義から得られる望ましい効果である。 しかし、望ましい効果ばかりではない。 霊魂の永遠性に関する教義には、望ましくない副作用もある。 それは、 肉体的な生命を軽視させるという効果である。

人間はしばしば、 他人や自己から肉体的な生命を奪いたい という衝動にかられることがある。 しかし、 それを実行することがもたらす喪失の大きさが抑止力となるため、 実際にそれが実行されることはめったにない。 ところが、 霊魂は不滅であるという教義を信じている人間は、 たとえ他人や自己から肉体的な生命を奪うとしても、 その人の霊魂までも消滅させるわけではないと考えることができる。 その結果として、そのような人間においては、 殺人や自殺の衝動に対する抵抗力が著しく低下することになる。

多くの宗教は、殺人と自殺は宗教上の罪であり、 それを犯した者には死後に永遠の苦しみが与えられる、 という教義によって、 霊魂は不滅であるという教義が持つ副作用を緩和している。 しかし、これは根本的な解決策ではない。 宗教上の影響力を持つ人物が、 殺人と自殺は罪であるという教義を軽視させ、 霊魂は不滅であるという教義を強く意識させる発言をすれば、 副作用の危険性は看過できないものとなる。 多くの宗教が持つそのような性質は、 他人や自己から肉体的な生命を平然と奪うことのできる 理想的な兵士を作る上で利用する価値のあるものである、 と為政者たちは考えるに違いない。

そもそも、自己の死に対する恐怖を軽減させたり、 近親者の死による悲しみを軽減させたりするというような、 霊魂は不滅であるという教義から得られる 望ましい効果というものは、 本当に有意義なものなのだろうか。 我々にとって、自己の死に対して恐怖を抱くこと、 そして近親者の死を悲しむことは、むしろ、 避けて通るべきではないものなのではないだろうか。

*1 http://sonzai.org/2008/05/death.htm
*2 http://www.monotheism.jp/sutra/primer.htm
存在論日記2009年/ 霊魂は不滅であるという教義の副作用
Last modified: Wednesday, 28 January 2009
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